いよいよ今週末、2月9日から17日間、冬季オリンピック「平昌オリンピック」が開催されます。既に、7日に北朝鮮のオリンピック委員会委員長(体育相)や美女応援団「モランボン(牡丹峰)楽団」、テコンドーの演武団、記者ら計280人が韓国入りしました。
それに対して、韓国・ソウルでは、北朝鮮の参加に反対する大規模な集会が開かれ、保守系団体が4000人余りが、金正恩の肖像や国旗を焼いたりして、北朝鮮との混合チームの結成や開会式での合同入場の隊列を決めた文在寅(ムン・ジェイン)政権批判を絶叫しました。
「平昌オリンピック」のここ数日のニュースを見ると、スポーツ選手が政治の場の広告塔に演出されているナ、スポーツが政治宣伝に利用されている…ナ、こんな政治セレモニーは中止にした方がいいーナ、と痛感します。北朝鮮の高官級代表の一員として、金正恩委員長の妹・与正氏を派遣するとか…、開会式前日の今日、北朝鮮では最新の大陸間弾道ミサイルなどを公開する軍事パレードを平壌で行うようです。。2020年開催の東京オリンピックの経済効果が、今から32兆円など皮算用が発表され、TVCMもニュースのスポーツの話題も、マスメディアの沸騰した、この興奮した空騒ぎは何だろうか…と胡乱に感じます。国外にも国際社会でも、スポーツ以外に大事なことがあるだろうよ、平昌オリンピック以外にもっと話題にしなくてはならないニュースがあるだろう…ヨ!!!
さて、2月上旬の特選映画をアップロードします。今回4本を映画館で観賞しました。選んだ特選映画1本は、『THE PROMISE/君への誓い』でした。1994年、ルワンダで勃発した「ルワンダ虐殺」によりフツ族過激派が同族の穏健派やツチ族を120万人以上虐殺するジェノサイドを映画化した『ホテル・ルワンダ』(2004年、テリー・ジョージ監督)と同じ監督だというので、期待していましたが、期待通りの作品でした。この作品がオスカーの監督賞・作品賞が取れなかったというのも変だな。絶えず世界のどこかで戦争と紛争が勃発しているこの地球ですが、紛争と闘争と戦争の先に、人間はどんな平和論を見つけられるのかーナ…と、考えさせる作品でした。私はハリウッドで今度こそこの作品がオスカーのトロフィーを手にしてほしいです。少なくても、核兵器による力の均衡論という「核抑止力」の陳腐な平和論だけは、いい加減に廃絶してほしいですね。勿論、『羊の木』も見応えがありました。日本アカデミー賞の最優秀作品賞ものです。公開時期を外したということは、配給会社の策略カナ、そう勘繰ってしまいます…ネ。
そろそろ日本でもハリウッドでも「アカデミー賞」にノミネートされた作品が順次映画館で上映されている時期です。特に海外作品は、いち早くアメリカで話題になっても、日本ではまだ未公開作品が多いです。その分、2月は外国映画を鑑賞するのが忙しいです…ネ!!!
1本目は、ニューヨークに暮らす少年ジェイクは、毎夜おなじ悪夢にうなされていた。それは巨大な暗黒の塔を舞台に、それを守る拳銃使い(ガンスリンガー)の戦士と、それを破壊しようとする黒衣の男の戦いが繰り広げられているというもので、屹立する塔の破壊が現実世界を破壊しようとする黒衣の男の目論見にがあるようだ。毎夜自分のベッドの中で見る悪夢をスケッチして、絵を見せても誰にも信じてもらえず、両親にさえに精神異常と見られていた。そんなある日、ジェイクはこの世界と夢で見た「中間世界」と呼ばれる異次元の彼岸とを繋いでいるホールを発見する。そして中間世界で最後のガンスリンガー、ローランドと出会うジェイクだったが…。元々は全7部構成の長編の幻想文学であったが、それを短いファンタジ映画にした『ダークタワー』(2017年、ニコライ・アーセル 監督)でした。
でも私がこれまで見たスティーブン・キングの作品群…キャリー Carrie (1976年)、シャイニング The Shining (1980年)、炎の少女チャーリー Firestarter (1984年)、キャッツ・アイ Cat's Eye (1985年)、スタンド・バイ・ミー Stand by Me (1986年)、ペット・セメタリー Pet Sematary (1989年)、ミザリー Misery (1990年)、IT It (1990年)、ショーシャンクの空に The Shawshank Redemption (1994年)、
グリーンマイル The Green Mile (1999年)、ミスト The Mist (2007年)、キャリー Carrie (2013年)、IT/イット “それ”が見えたら、終わり。(2017年)等々…のホラーとミステリーとヒューマンストーリのS・キングの、作品群とはやや逸脱しているようですーね。S・キングファンの私ですが、この作品は駄作だなーと思いました。脚本が悪いのかな、監督が悪かったのかな。見方としては、昨今のディズニー系の幻想映画の人気に引きずられて模倣しているとも言えますーネ!!!。
2本目は、山上たつひこ&いがらしみきおによる、第18回文化庁メディア芸術祭優秀賞に輝いた問題作のマンガを実写化した『羊の木』(2017年、吉田大八監、香川まさひと脚本)でした。漫画をほとんど読まない私なので初めて知りましたが、元々漫画連載の時から大変に話題になっていたようです。架空の寂れた田舎の港町・魚深市に、いずれも元殺人犯で刑期を務めていた元受刑者が、新仮釈放制度により男女6人が移住してくる。この新しい刑事制度そのものが斬新な発想ですーネ。海外では刑務所が満杯なので逃亡しない装置を付けて自宅軟禁したり、死刑の殺人犯を処刑にしないで孤島に幽閉するシステムなど、マイケル・ムーアのドキュメンタリー映画『世界侵略のススメ』では、そんな新しい社会システムを取材しています。人により賛否両論ありますが、確かに新しい法制度ですーネ。詰まる所、性善説に立つか、性悪説に立つかー、人間を信じられるかー、罪と罰を宗教的な規律と見るか、社会的刑罰と見るか…の人間観の相違なのかな。
シャッター街の商店と若者が町から逃げていく活気のない漁港を活性化する為に、元殺人犯だった新住人を自治体が受け入れるため、彼らの世話と受け入れ担当を命じられた市役所職員の月末(錦戸亮)と、彼ら6人が、この映画の主人公です。それぞれの過去の犯罪を抱えながら平穏無事の日常と平凡な生活を始めたのだが…、ところが、旧い先祖代々から伝わる「のろろ祭」を境に、この静かな港町に異常な心理が爆発し、突然の殺人が起きる…。
その一人、依然荒くれのやんちゃな性格を拭い切れない杉山勝志(北村一輝)は、釣船の業者として船の操舵の仕事を始めました。太田理江子(優香)は介護施設の老人たちの面倒を見て、月末の父・亮介と知り合い、介護士する内に身体障碍者の彼の親老人と結婚する約束をする。酒乱の夫をビール瓶で殺した栗本清美(市川実日子)は、清掃員として几帳面に、実直に淡々と掃除をこなしていた。死への畏敬から死んだ生き物を庭に埋める奇妙な習慣を持っていた。徒弟時代にいじめられた末にナイフで先輩の首を切った福元宏喜(水澤紳吾)は、元懲役者だった床屋のオーナー雨森(中村有志)からその腕を認められた実直ものでした。元組ヤクザの大野克美(田中泯)は、抗争相手の組長の首を針金で絞め殺したが、組織から足を洗い、クリーニング屋でこまごました雑用をこなしていた。過去に何人も殺人を犯した宮腰一郎(松田龍平)は宅急便の仕事をしていた。ジキルとハイドのような二面性をもつ彼も、月末が組んでいる復活したバンドの練習に参加する。月末の高校時代のバンドメンバーの一人で、都会からユータウンしてきた看護師の石田文(木村文乃)と付き合い始めていた…。非常に多彩な出演者が、得意な性格を演じきった「人物犯科帳」のような映画でした。
原作のマンガは、講談社の雑誌『イブニング』で2011年から2014年まで連載されたようです。いろいろな漫画好きの方の感想を聞くと、原作と映画はだいぶ違うようですーネ。特にこの作品は、漁港に古くから伝わる伏線の伝統的な奇祭「のろろ祭」…、祭りの日に2人の生け贄がそこから飛び込むと、一人は助かり、もう一人は沈んだまま死体が揚がらない…、という話が言い伝えられている。日本の祭りには「奇祭」と呼ばれる、奇妙な起原の良く分からない祭りが地方にあちこちあります。最後のシーンに岬にそそりたつ埴輪のような形の「のろろ様」の巨大な像の頭部が転げ海に落下するシーンは、恰ものろろ様の祟りのようでした。この街の奇祭が作品をより一層ドラマチックにしていますーネ。
映画タイトルの「羊の木」は、果て何の意味なのかな?と胡乱に思う人も居るでしょうーネ。私もその一人です。原作を読んだ人によれば、「ウール(羊の毛)」に似ているという感覚からコロンブスの時代には、ヨーロッパの人々は木綿は羊のなる木からとれると思っていたようです。
何処かの地方に先祖代々伝わる、日本の神話と、少子高齢化によって過疎化した漁港と、元殺人犯の移住者たちという、三つの要素が絡まった、劇画ならではの興味津々なストーリを完成させた…と言えます。邦画にしてはよく練りあがった脚本、現代に現れた新しい神話的フィクションを映像化してました。単に「限界集落」の問題を映像化した映画ではありません―ヨ、漫画だ借りではなくて映画としても結構、面白いです。

3本目は、村の医師になるためにイスタンブールの医学大学に入学したアルメニア人・青年ミカエル(オスカー・アイザック)と、彼が恋したフランス育ちのアルメニア人女性のアナ(シャルロット・ル・ボン)と、彼女が付き合っていたアルメニア人への虐殺を取材していたアメリカ人ジャーナリストのクリス(クリスチャン・ベイル)との間の、恋愛関係を一方で描き、他方でその時代に生きた3人を巻き込む、オスマン帝国のアルメニア人虐殺事件を描き、映画を通して今世紀の知られざるジェノサイドを訴えた歴史&恋愛&ヒューマン映画『THE PROMISE/君への誓い』(2016年、ジョージ 監督)でした。
1994年、フツ族過激派が同族の穏健派やツチ族を120万人以上虐殺するアフリカ・ルワンダで勃発した大量虐殺「ルワンダ虐殺」を描いた映画『ホテル・ルワンダ』を制作したテリー・ジョージ監督が描いた今回のヒューマン映画は、1915年から1916年にかけて青年トルコ党政権によって、長年住み慣れた伝統的なアルメニア人居住地で、オスマン帝国領のアナトリア東部(西アルメニア)にいたアルメニア人をシリア砂漠へ強制移住させた歴史的事実をドラマ化したものでした。その強制移住の際、容赦ない死の行進を強制させられ、食料も水もなく、多くの人は行き倒れて150万人のアルメニア人を虐殺したジェノサイド事件は、今のトルコ政府と、アメリカのブッシュ大統領やロバート・ゲーツ国防長官など、その他イスラエルなど数カ国は、100年余り経過した今でも政治的忖度から認めていないようです…ネ。
トルコと言えばイスタンブールの観光とか、日本とトルコの友好125周年を記念して制作された映画『海難1890』(田中光敏監督、2015年)ぐらいしか、私は知りません。その映画の中では、トルコと日本との関わりが、1890年に起きた、日本近海のエルトゥールル号遭難事件と、1985年のイラン・イラク戦争勃発時に、テヘランに取り残された日本人の救援のため、トルコ政府が救援機を飛ばして帰国させた救出劇を描いていました。そんな歴史があったのかーと驚きました。しかし、この映画を通して今世紀のジェノサイド「アルメニア人虐殺事件」などは初めて知りました。反ヒューマニズムを告発するジョージ 監督の執拗な追及は、この映画でも感じられます。是非次回作に、イスラム教徒「アイシス」の暴挙と虐殺とテロも描いてほしいですーネ。
4本目はミズーリ州エビングという架空の田舎町を舞台に、古い付き合いの住人ばかりの小さな町で、娘をレイプされ殺され焼かれた母親ミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は、犯人を逮捕できない警察署長のウェルビー(ウディ・ハレルソン)に苛立ち、警察を批判する3枚の広告看板を道路わきに設置する、いわば犯人捜しのミステリー&人種差別告発の映画〚スリー・ビルボード』(2017年、マーティン・マクドナー監督)でした。
日本では相当の田舎道か高速道路の脇とかではないと、畳より広く大きな目立つ広告看板は観られないが、広大な大地が広がるアメリカの地方都市には、道路沿いに広告看板を3枚も並べて建てるスペースがあるのだろう・・・。それにしてもTV電波で商品広告も政治的広報も影像で流すマスコミニケーションの時代に、ましてパソコンによるインターネットでSNSで流言飛語が拡散する時代に、何とも広告看板で警察署を告発するというのは、ある意味時代遅れの広告方法だろうーネ…。しかし、不特定多数に一瞬に流れるこの時代の広告媒体とSNSへの痛烈な批判が、この映画の本意するなのかもしれませんーネ。痛烈なマス媒体批判の作品です。
この作品は、ハリウッドのアカデミー候補と騒がれている話題作なので見てみました。人種差別のミズーリ州南部で、黒人を警棒で殴る白人主義の巡査ディクソンと、娘をレイプされ殺されたミルドレッドの二人が、娘の復讐のために疑惑の犯人の元に殺しに行く途中で作品は終わりました。エ~、ナンカ結末のない映画だなと、やや物足りませんでした。
(是非、コメントを一言お寄せください。必ずご返事させていただきます。尚、 誤字脱字その他のために、アップした後で文章の校正をする時があります。予告なしに突然補筆訂正することがありますが、ご容赦ください…)